2016年8月2日 – 2016年8月3日

ひとっ風呂浴びに

先日の倉敷観光の帰路、電車に揺られながら、僕の脳裏にはすでに次の行き先が浮かんでいた。下呂温泉に行きたい!さっそくジョルダンで行程を検索し、朝一で大阪駅に向かった。

京都駅を過ぎ、米原駅にもなると観光客が増えてくる。「彼らも下呂に行くに違いない」と、勝手な親近感を抱きつつ、岐阜駅にたどり着いた。ここには黄金の織田信長像があって、見物に行こうか逡巡したが、駅の構内からその姿を一瞥しただけでもう満足してしまった。思ったより下品な黄金だったのだ。

風光明媚

実際のところ、米原駅で見た観光客は下呂に行くわけではなかったようだ。美濃太田駅からは大学生のグループと一緒になる。当然、どんちゃん騒ぎだ。僕は読書に集中したくて車両を移動した。すると、今度はその車両に幼稚園児のグループが乗り込んでくる。こうなるともう逃げ場はない。下呂駅行きは2両編成なのだ。まあ、僕も集団だと騒ぐタイプの人間なので、偉そうなことは言えないが。

いつの間にか眠っていたらしく、気づけば幼稚園児たちは消えていた。窓を眺めると美しい峡谷が広がっている。澄み渡る清流は、夏の陽光を反射してキラキラと輝く。起きたばかりの脳が覚醒し、一気に盛り上がってくる。これは絶対にいい旅になるぞ。

どうも物足りない

偶然にも、下呂温泉まつりの最中だった。

下呂温泉には「湯めぐり手形」というものがあって、1300円で3軒の温泉に入ることができる。ただし、その条件が結構厳しいのだ。利用できる時間は朝だけなど、遠方からの旅行客には到底不可能な時間帯に設定されていたり、例外も多い。ちゃんと調べておかなかった自分が悪いのだが、結局、楽しみにしていた湯之島館の湯に入ることはできなかった。汗だくになって山を登ったのに、とんだ徒労だった。わずかばかりの慰めだが、頭からいろはすをかぶると、少しだけ気が紛れた。

湯之島館。国の有形文化財に指定された老舗旅館だ。

次なる候補として水明館を訪れた。ここもなかなかの老舗で、館内には政治家や芸術家の写真が所狭しと飾られていた。従業員の質も非常に高く、言ってみれば外様であろう僕に対しても、丁寧に接客してくれた。僕は野天風呂を選んだ。

とろりとした湯質は化粧水のように肌に馴染み、実に心地よい。男湯は貸切状態で、時間ギリギリまで湯を独り占めした。だが、同時に既視感を覚えたのも事実だ。音に聞こえた下呂の名湯も、よくある温泉地の域を出ないのか、と。

期待しすぎたのかもしれないが、せっかく岐阜まで来て、このまま帰るのはあまりにも惜しい。僕は、以前から行きたいと思っていた高山まで足を伸ばすことにした。当日だったこともあり、宿はゲストハウスしか空いていなかったが、この際気にしていられない。予約をとったと同時に、下呂を豪雨が襲った。潮時だった。

いざ飛騨高山へ

姫路駅 – 岡山駅間と同じく、下呂駅 – 高山駅間も青春18きっぷユーザーの天敵と呼ばれている。だが、雨雲から逃げるように北上する電車が、僕の心を満たしてくれた。

さんまち通り。日本家屋が軒を連ねる。

高山駅に到着したのは16時で、あまり観光する余裕はなかった。日が沈んできたせいか、高山の標高のせいか、少し肌寒く感じたので上着を着込む。

意外だったのは、白人が散見されたことだ。京都に至っては中国人と韓国人に侵略されており、もはやどこの国かわからない有様だというのに、ここでは白人――それも多分ヨーロッパ人が目立った。彼らが熱心に日本酒を吟味する様子は、妙に新鮮に映る。

さて、高山に来たからには高山ラーメンを食べなければなるまい。「鍛冶橋」という店に入って、高山中華そばを食べる。値段の割においしくない。さらに、アルバイトの店員が客の声を露骨に無視するせいで、隣のおっさんが今にも怒鳴らんばかりだったことも、味の悪さに拍車をかけた。

異文化コミュニケーション

僕が宿泊したジェイホッパーズ飛騨高山は、高山駅から徒歩3分のところにある。ゲストハウスは初めてだったので緊張したが、受付の白人女性にそう伝えると、「きっといい経験になるよ」と言ってくれた。

また、ここでは白川郷のバスツアーを企画しており、普通のバスよりリーズナブルだった。日本語で書かれたチラシを手に説明する彼女の熱心さには舌を巻くばかりで、「展望台」の読み方を思い出せずに難儀していたが、それ自体が勉強家であることの証左だった。さらに、ふとした拍子に彼女の豊満なおっぱいが思いっきり見えてしまったこともあって、僕は喜び勇んで参加を表明したのだった。もっとも、このゲストハウスを予約した時点で、バスツアーに参加することはほとんど決めていたのだが。

部屋は男女共用のドミトリーで、1泊2700円。おそらく、日本人は僕だけだった。本当は積極的に話しかけに行くべきだったのだろうが、ベッドに横になると一気に疲労感が押し寄せてきて、19時には眠ってしまった。

白人天国

翌日は7時に起床。さすがに12時間も爆睡するとすこぶる体調がよく、朝が苦手な僕でも、元気にシャワーを浴びることができた。8時に高山駅に集合し、観光バスに乗る。途中、別のホテルで乗客を拾ったが、僕と日本人の家族連れ2組を除いては、全員が白人だった。白川郷は平家の落人伝説が残る地でもあるが、「これだけ世界中で有名になっては、隠れ里も何もないな」と思った。

バスガイドは、25歳前後とおぼしき中国人の女性だった。中国語、英語、日本語のトライリンガルで、彼女もまた驚くほど勉強しているように見えた。その英語は聞き取りやすく、また、日本語の説明より流暢かつ情報量が多かったこともあって、僕は真剣に耳を傾けていた。すると、それに気をよくしたのか、あるいは英語が話せると思われたのか、突然、「白川郷の人口はどれくらいだと思う?」と名指しで質問された。とりあえず適当に「約1500人」と答えたが、正解だったのかはわからない。内心焦って、後の話はまったく耳に入らなかったからだ。けれども、彼女は僕の顔を覚えたようで、それをきっかけに何度も話しかけてくれた。

その目に映るもの

展望台から望む白川郷。

展望台に着いて、感嘆の声を漏らす。これがあの白川郷!夢中でシャッターを切った。あいにくの曇天で、一抹の不安がよぎったが、滞在中に晴れたので助かった。

展望台からは再びバスに乗り込み、せせらぎ公園駐車場まで連れて行ってもらう。観光客は意気揚々としていたが、バスの運転手は出発時間になるまでだるそうにスマホで遊んでいた。日本の原風景ともいうべき名勝も、毎日来ればただの田舎と化すのだろうか?

であい橋を渡る人々。コンクリ製だが、風が吹くと結構揺れる。

僕が白川郷を知ったきっかけは、『ひぐらしのなく頃に』というゲームだった。発売から10年以上の歳月が流れても、未だこの作品が与えたインパクトは(いろんな意味で)半端ではなく、現に、僕の前を歩いていた日本人のカップルが、「梨花ちゃんの家だ!」と歓喜していた。「梨花ちゃん」とは作中の登場人物の名前であり、彼女の家は合掌造りとは関係のない平凡な小屋だが、ファンにとってはそれすらも特別なものなのだ。いわゆる「聖地巡礼」を煙たがる人は多いが、こういう旅の楽しみ方もあるのかもしれないと思った。

お蚕様

和田家。重要文化財であり、300円で見学できる。

『あゝ野麦峠』で描かれたように、中部地方は製糸業が盛んな土地だ。寡聞にして知らなかったのだが、ここ白川郷も養蚕で有名らしい。実際に、僕が訪れた和田家の2階では、蚕が絹をまとって眠っていた。また、蚕は食すと美味だそうで、富岡製糸場で働く女工たちのおやつ代わりだったと読んだことがある。昆虫食の文化が白川郷にもあるのかは不明だが、確かに、これだけ生活の足しになる存在を、呼び捨てにできるはずもない。「お蚕様」と敬称で呼ぶのも納得である。

合掌造りの屋根。足場が危うく、撮影に手間取った。

和田家の他には神田家を見学した。どちらもハシゴが不安定で、合掌造りに住むにあたっての危険性を思い知らされた。バリアフリーという概念が存在するはずもなく、高齢者にとっては過酷に違いない。どうにか2階に上がったものの、恐怖で1階に下りられずに泣き叫ぶ女の子を見て、しみじみと思った。

それと比べるとどうでもいい話だが、ゲストハウスで一緒だった美女と神田家で再会できて嬉しかった。はるばるオランダから来たと言う。どうも僕は、金髪のお姉ちゃんに弱いらしい。

そろそろ帰ろうか?

白川郷から戻って、高山陣屋を観光した。それから、昨日のリベンジとばかりに「豆天狗」でつけ麺を食べた。店長が客を放置して雑談に興じていたので、「またハズレを引いたか」と頭を抱えたが、出されたつけ麺はとてもおいしかった。僕はもともと魚介好きなのでひいき目もあるが、僕の中で高山ラーメンが汚名返上を果たした瞬間だ。目立たない場所にある店だが、高山駅を訪れた際には、ぜひおすすめしたい。

さて、そうこうしているうちに帰るべき時間が近づいてきた。最初のうちは高山に行くかも迷っていたのに、本当に充実した旅であった。さらに費用は合計2万円以下。これで不満などあるはずもない。……そのはずだった。

いや、もうひとっ風呂!

僕は『深夜特急』が好きで、こんな文章を書いているのもその影響が大きい。確か、沢木耕太郎も旅の締めくくりをどうするかで悩んでいた。あれと比べれば随分とスケールの小さな旅だが、僕にはまだ心残りがあった。例の「湯めぐり手形」だ。せっかく買ったのにまだ1軒しか使っていないではないか。しかも、白川郷を歩き回ったために僕の体は汚れていた。とにかく汗を流したかったのだ。

相変わらず思いつきで行動するので、今から入れる温泉は下呂彩朝楽別館しかなかった。下呂まで来て湯快リゾートもないだろう、と思ったが、消化不良で帰るよりははるかにマシだった。それに、ハードルが下がっていたからか、昨日より楽しむことができた。

漫画コーナーを散策してから、下呂駅へと歩く。道中でたくさんの屋台が目についた。そうか、今日は花火大会の日だった。得した気分で、岐阜を後にした。